西部警察の想い出

車のこと、ではあるが少し趣きを変えて、TV番組『西部警察』に使われた車について話そうと思う。何を隠そう実は、、


あのマシンXこと、スカイラインGTベースの劇中車を作った(設計)のは、私なのです。

当時勤めていた会社に、日産・宣伝部経由で石原プロモーションの専務さん達が訪れ、TV番組の中に使う『どハデ』な車を作ってほしい、との依頼。その当時の仕事といえば、バキュームカーやダンプカーなどトラックの特装車を作っていたのだから、乗用車をベースに改造出来る喜びと、自分のアイデア提案から始まる仕事に喜び勇んで取り組んだ。思い出せば、それ以前に『西部警察』という番組自体をテレビで見ていなかった。。もともとテレビでも映画でも、いわゆるドラマ系のものは敬遠していたから。
もちろん、石原裕次郎や渡哲也さんなんかは超有名人で知ってはいたが、その人達に関わる仕事だから、というより純粋に面白い仕事、という意識の方が強かった。

ほどなくして、自分のアイデアを石原プロの専務さんにプレゼンすることになり、幸運にも専務さんの絶賛を得ることができた。石原プロからのオファー時には具体的な装備内容など無かったので、この装置を付けるとこんな面白い演出が出来ますヨ、と演出家並のストーリー性も必要かな? と思ってはいたのだが、とにかくハードウェア的に考えられるスペックの羅列と簡単なポンチ絵(フリーハンドのスケッチのようなもの)を提示しただけなのだ。


まぁまぁ仰々しいというか、これでもかと言うほどの操作スイッチ類を並べてみて絵面的にスゴさを演出しただけなのと、当時の車マニアには喜ぶであろうナルディのステアリング、レカロのシートなど、およそ警察車というワークユースの車には必要のないスペックがミスマッチで良かったのかな?
ただ、このようなスペックを寄せ合わせたのは、決して空想の発想では無かった。まだまだ一般的でもなかった自動車電話や、今で言うカーナビに近い機能(想定上の)を備えているのは、当時の世の中で囁かれ始めたテクノロジーのアイデアを頂いたのだ。

このスカイライン2000GT、劇中ではマシンXとして登場した車の発表会が、銀座ニッサンギャラリーで行われた。




そこに展示するマシンXを説明せよ、との社命を受け、まだうら若き 私が大勢の人の前、報道陣の前で説明することになった。


あの大スター石原裕次郎の隣に座るという、大変な抜擢待遇だったのだが、本人はいたって冷静だったようだ(この部分、記憶がなく、他人から聞いた様子)。ちなみにレーサーの長谷見さんも列席している。(私の左隣)
本来アガリ症で口ベタな私だが、この時の度胸には理由がある。この日のために展示する車を徹夜して作っていたのだ。その日の早朝まで会社で車を弄り、会場への送り出しを済ませた後も会社に残って、身支度を済ませてそのまま会場に入って、そのまま皆の前で説明。すなわち徹夜明けで判断力が鈍っていた(笑)。モノ作りに一生懸命でアトのことなど、頭に入っていなかった。突然の説明指名で説明文も出来ていなかった。。等々出た所勝負もいいところで、事前の構えがなかったことが良かったのか〜。。


御陰さまというか、これまた幸運にも続けてR30スカイラインでも3台の劇中車の製作にもたずさわった。その時は後輩と一緒に仕事をしたので、全て私が作ったとは言えないが、まだ世の中にあり得ないアイデアや軍事兵器の情報収集やらで技術者興味本位のみで仕事をした。劇の中で使うから実際に機能しなくても良い、というのはモノ作りを職としている者としてはかなりの負担軽減になる。いや、本来ウソではいけない職業なのにウソでも良い、というモノ作りには若干の後ろめたさもあった。

このR30スカイラインを作った後(正確には、その前後の時間軸は不詳)、西部警察に登場するガルウィングのZ、そして放水銃を備えたサファリの製作にもかかわった。


このサファリの放水銃はホントウに作動させた。この範囲は職として本職の範囲であるから、実現させるのに苦労はない。これまでの劇中車ではウソを並べてきた技術者として良心の呵責からもホンモノにしたかった。西部警察の面白さはアクションにあり、銃なども撃ちまくりの展開なのだが、車と銃火器の組合わせは、車屋からすると凶悪なイメージを車にオーバーラップされてはイメージが悪いことになり極力敬遠してきた。代わりに犯人にとっては脅威となる術として放水を備える。現実の警察・機動隊も使っているから、絶対にウソにはならない。。

と、まぁ〜、今思い出してみると自分自身面白がってやっていたと思う。その技術者の良心の呵責、など大して大袈裟にも思慮していなかったと思う。でもこの西部警察の仕事は間違い無く自分にとってチャンスだったし、そのチャンスをものにしたということで誇りに思う。ちょうど結婚したての時でもあり、ミーハーな妻にそそのかされ撮影現場まで見に行ったこともあった。石原裕次郎があの大病で入院していた病院に、お見舞い記帳までお付き合いした。それも想い出となっているが、石原プロの関係者とは今でも年賀状のやりとりがある。ひとつの時代を通り越えてきた自負心みたいな感じで、今居る。。


今回、ここに掲げた写真・資料は、当時の会社の宣伝課所属の人がスクラップしていたもので、会社を去る際に当事者の私にくれた物だ。形に残る当時の物はこれしか無い。悪しき過去の記録はいらないだろうが、良い或は普通のことでも記録が残っているという事は、何かにつけ貴重なものになる。当時の関係者に感謝。


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